校長室より

校長  鈴木 雅文

令和4年度

令和4年度卒業証書授与式式辞(2023/03/03)

 本校教室棟の4階廊下より、遠くに真っ白な三角形の木曽御嶽と、白い山並みが連なる中央アルプスを望むことができます。その山々の雪の、神々しい白さに、厳しかった冬を思い、そしてその山々の雪の、きらきらとした輝きに、力強い春の日差しを思う季節になりました。

 本日、PTA会長・山下真司様、同窓会長・杉田明弘様をはじめ、御来賓・御家族の皆様の御臨席を賜り、愛知県立西尾高等学校第75回卒業証書授与式を挙行できますことは、この上ない喜びであり、高いところからではございますが、皆様に厚く御礼申し上げます。

 ただいま、卒業証書を授与しました352名の皆さん、卒業おめでとう。

 君たちは3年前、世界中で新型コロナウイルス感染症の脅威が深刻化する中、この西尾高校に第一歩を記しました。以後、今日まで君たちの高校生活は、全てコロナとともにあったといっても過言でありません。入学式のあくる日からの臨時休校に始まり、時期を変え、行先も伊勢志摩に変えた1泊2日の修学旅行。日々の黙食、友だちの素顔が思い浮かばないマスク着用の日々。しかし、それらの苦境を乗り越え、今ここに集う君たちの希望に満ちた表情を見るにつけ、今後の幸せと成功を祈らずにはおれません。輝かしい未来が君たちを待っていることを心から願っています。

 と、今私は「未来が君たちを待っている」と述べましたが、はたして未来とは、まだ見ぬ遠い先で、その時が来れば君たちを待ち受けているものなのでしょうか。文筆家であり、文化芸術プロデューサーの浦久俊彦(うらひさ としひこ)さんは、その著書「リベラルアーツ」の中で、未来についてこのように述べています。

 「未来は、「ぼくたちの先にある何ものか」ではなく、ぼくたちの「背後からやってくるもの」である」と。そして、日本語では、例えば「5日後」という未来は「後(うしろ)」という文字で示し、例えば「10日前」という過去は「前(まえ)」という文字で示すことを例にして、「まさに未来が「後(うしろ)」からやってきて、過去が「前(まえ)」にあることを指している、つまりぼくたちの未来は全て、過去の投影であると考えるべきである」と論を進めています。この考え方によれば、自分の未来や人類の未来は「過去に聞け」ということになります。

 では、「過去に聞く」ための具体的な手段は何でしょうか。

 一つは、書物にあたること、つまりは読書です。過去に著わされた書物には、ありとあらゆるその時代の世界が詰まっています。読書を通じて過去の人々の声に耳を傾けることができれば、その声はまるで、仏様の背後から差し込む後光のように、自分の未来を照らすことでしょう。自分の未来への道しるべとして、君たちが今後一層、読書に親しむことを希望します。

 二つ目は、自分が過去いた場所に戻ることです。

 私のところには毎年、西高の同窓生より「このたび、ぼくたちは結婚することになりました。ついては、結婚式の生い立ちムービーに西高の風景を映しこみたいので、校内を撮影する許可をいただけませんか」という依頼が舞い込んできます。西高の存在は、そして自分が西高生だった時代は、過去に西高にいた人たちの胸の中に生き続けているのですね。君たちも、未来に自信がなくなった時には、過去いた場所である西高を訪ねたり、その仲間と再会したりして、自分の未来を確かめてくれると嬉しいです。そして、令和8年4月に附属中学校を開校し、新たな時代へステップを踏みだす西高の応援団になってくれることを願っています。

 最後になりましたが、御家族の皆様、本日は誠におめでとうございます。たくましく成長したお子様の姿に、感慨もひとしおのことと存じます。また、これまでの本校の教育活動に寄せられました、皆様の深い御理解と御支援に対しまして、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。

 母校を巣立ちゆく卒業生352名の、健康と幸せを祈念し、式辞といたします。

令和5年3月3日
愛知県立西尾高等学校長  
鈴木 雅文


令和4年度3学期始業式式辞(2023/01/10)

 皆さん、あけましておめでとうございます。いよいよ3年生は4日後に大学入学共通テストに挑みます。日ごろの努力の成果を発揮できることを願っています。

 さて、今までに私は始業式などの式辞で「似ているけど大違いなことば」として、「ためになる」と「だめになる」、「しでかす」と「しくじる」を取り上げました。今回はその第3弾として「わかる」と「かわる」をお題にして話します。

 「わかる」と「かわる」、これは実は私のオリジナルではありません。昨年の12月の人権週間にむけて愛知県が製作した人権啓発ポスターの受け売りです。この人権啓発ポスターは毎年大変よくできているので、ぜひネットで検索してみてください。

 さて、「わかる」と「かわる」は応用範囲が実に広い。例えば、勉強。学習内容が「わかる」と、勉強に取り組む姿勢が「かわる」。例えばスキー。スキー板に乗れている感覚が「わかる」と、滑りが「かわる」。例えば友だち関係。友だちの悩みや気持ちが「わかる」と、友だちとの接し方が「かわる」。つまり、自分が何かに気付く、すなわち「わかる」ことで、自分の考えや行動が「かわる」ということです。

 さらにこの「わかる」と「かわる」が優れているところは、この順序を変えて「かわる」と「わかる」にしてもオーケーであることです。例えば、いつも朝ギリギリ間に合う電車に乗って来る生徒。一本前の電車に乗り「かわる」だけで、心と行動に大きな余裕ができることが「わかる」。例えば、部活動で先輩が引退して、部長を「かわる」とその大変さが「わかる」。つまり、現状を変えるためには、「かわる」というアクションが必要で、その結果はやがて「わかる」ということです。

 自分は「わかる」のちに「かわる」ことが多いタイプですか、それとも「かわる」のちに「わかる」ことが多いタイプですか。自問してみると自分の性格がつかめるかもしれません。

 3年生はいよいよ旅立ちの季節です。悔いのないように旅立ちの支度を整えてください。1・2年生は4月には新入生を迎えます。先輩として恥ずかしくない振る舞いができるよう、自分を磨いてください。以上、式辞とします。

(2022年12月23日、体育館での終業式)


令和4年度2学期始業式式辞 (2022/08/30)

 夏休みが終わりました。しかし、この後すぐにある学力テストや一週間後に迫った学校祭の準備対応で、夏休みが終わったという感傷に浸っている間もないかもしれません。私にとってこの夏は、全国高等学校体育連盟登山部長としての最後のインターハイ運営を香川県で行い、全国各地の登山を愛する高校生たちと交流できた夏でした。教員になって三十七年。最近は徐々に「最後の」という修飾語がつくことがらが増えてきて、教師としても次の世代にバトンをつないでいく年齢になったなあ、と感慨深いものがあります。

 さて、夏休み中の七月二十七日、西尾市長が主催する「若者と語るまちづくりトーク」が本校で開催され、生徒会メンバー十人と、西尾市の中村市長が「市内の中学校及び高校の生徒会との交流」などをテーマに懇談しました。生徒会長たちが、「市内の高校や中学校はじめ、外部との交流を活発にするための効果的な方法を教えてほしい」と尋ねると、市長から「ボランティア活動を一つの手段にするとよい」と助言をいただきました。コロナ禍でボランティア活動の場が狭まったとはいえ、私もボランティア活動は生徒会活動に十分生かしていくことができると思います。

 例えば先日、鶴城小学校の校長先生がお越しになった折、雑談の中で西高生が鶴小生や、鶴小に併設されている日本語初期指導教室カラフルに通う子供たちと交流できるといいね、という話になりました。ボランティア活動の芽はいろいろなところに見つかるもので、こんな話も踏まえながら、生徒会を中心にいろいろなボランティア企画を提案できるといいと思います。

 「まちづくりトーク」の話に戻って、西高生の「西尾市は、若い世代に何を求めているか知りたい」との問いかけに中村市長は、「チャレンジすることを大切にしてほしい。今は昔より親が子供に失敗をさせないようにしていると感じる。失敗せずに一生過ごせる人はいないし、失敗したからこそわかる大切なことがある。失敗を怖がって挑戦をやめてしまう人生を歩んでほしくない。」と強調されたことが印象に残っています。挑戦せず、無難な人生を過ごすのもその人の選択の一つですが、人生は一度限りだからこそ、失敗を恐れずにチャレンジしていくことは尊いことだと私は思います。

 また、「まちづくりトーク」で、生徒会役員諸君が熱心に懇談に臨む姿を見て、生徒会活動の一層の活性化の必要とその可能性を西高生は秘めているということが確認できました。今日は折しも後期生徒会役員選挙の公示日です。何ができるかわからないけれど、まずは何ができるか提案してみたい生徒は、積極的に名乗り出てもらえるとよいと思います。

 学校祭準備もいよいよ本番です。失敗を恐れずにチャレンジして、悔いのない学校祭にしてください。楽しみにしています。


令和4年度1学期終業式式辞(2022/07/20)

 不安定な天気が続くとともに、コロナも広がりを見せており、本日の体育館行事は、学校全体で「密」な状態になることを避けるために、やむを得ず放送により実施することにしました。報道によると、クラスターが次々に発生していて、その多くが学校と高齢者福祉施設だということです。今のところ行動制限はかかっていませんが、基本的な感染症対策を徹底して過ごすように心がけてください。

 さて、昨日までで1学期の個別懇談会が終わりました。昨年度までこの会は、「保護者会」と呼んでいたのですが、今年度からは「個別懇談会」としました。なぜ会の名前を変更したのか。これはこの4月に施行された改正民法によって、成年年齢が18歳に引き下げられたことに関係しています。

 答えを教えるのは簡単ですが、「保護者会」と呼ぶのをやめたことと18歳成年との関係について、在学中に必ず成年年齢に達する西高生全員が、少し考えてみてください。

 ではここからは、18歳になって成年に達すると、自分一人で契約できることになるために、私が少し心配していることを話します。それは安易に契約を結ぶことと、だまされて契約を結ぶことです。

 そもそも契約とは何かというと、約束のうち、法律が適用されるものを指します。例えば、ラーメン屋に行って「塩ラーメン一杯お願いします」と注文し、店の人が「はい了解、塩ラーメン一丁!」と自分と相手が合意すれば契約が成立します。そして、自分には塩ラーメンを受け取る権利と代金を支払う義務が発生し、義務を果たさないイコール代金を払わなければ無銭飲食となって、法律的に罰せられることになります。

 ちなみに、彼女と「明日、デートする約束」などは、法律が適用されないので契約ではなく、したがってデート当日、彼女にデートをドタキャンされても法律的に彼女を罰することはできません。

 契約をすると、例えば「気が変わった」など自分勝手な理由で契約をやめることはできません。成年者の結んだ契約は気軽になかったことにはできないのです。だからこそ、契約をする前には慎重に周囲とも相談しながらよく考えて進める必要があります。契約は簡単には取り消すことができません。くれぐれも安易な契約を結ばないように。

 また残念なことですが、世の中には悪意をもって「人をだまそうとする人」が一定数います。学校の目も届きにくくなる夏休みを狙って「人をだまそうとする人」が近づいてくるかもしれません。キャッチセールスなどは無視し、断るときはきっぱりと「いりません」と伝えてください。

 契約について、未成年者ならば、自分のこづかいの範囲を超える契約については保護者の同意が必要なので、その同意がない場合は未成年者取消権という強力なカードを切って契約を取り消すことができますが、成年者には法律的に守ってくれるカードがありません。

 1、2年生は、今は未成年者ですが、西高に在籍しているいつかの時点で成年になります。決して他人ごとではありません。そして、成年者である3年生のみなさん、「自分は大丈夫」と言い切るだけの社会性はまだ身についていないことを自覚しつつ、「安易に」そして「だまされて」契約を結ばないよう、過ごしてください。

 以上で放送による終業式式辞とします。

 (2022年7月20日)


長崎の海(2022/05/09)
【修学旅行のしおり 巻頭言】

 長崎の町を歩くと、さまざまにつけて異国情緒を感じることができます。江戸時代初期、幕府は鎖国政策をとりますが、長崎だけは中国とオランダに開かれた海をもつ港町だったことは日本史選択者じゃなくても一般的な教養としてみんな知っていますね。異国情緒を醸し出す要因は、幕末に調印された安政の五か国条約において、米、英、仏、露、蘭を相手に貿易が本格的に開始され、外国人(グラバー等)が居留し始めたことも影響していると考えられますが、やはり横浜、神戸、函館などの例からも、古くから外国に開けた港と海をもっているということが大きいのではないかと思います。

 また、次の数字を見てください。600Km、700Km、800Km、960Km。これは、長崎市からそれぞれソウル市、西尾市、上海市、東京都までの直線距離。つまり、長崎は西尾より韓国の首都に近く、東京より中国一の大都市・上海に近いという位置にあります。長崎の異国情緒は、古くから外国に開かれた港町という歴史的経緯だけでなく、地理的な位置からも確認できます。この点は横浜や神戸には当てはまらない、長崎の大きな特色でしょう。

 さて、長崎県は愛知県ではあまりよく知られていないのですが、全国有数の水産県でもあります。長崎、佐世保、松浦などの日本有数の総水揚量を誇る漁港が目白押しで、漁業生産量は2016年で286,000tと北海道に次いで第2位、また、離島が多く、リアス式海岸になっているところも多いため、必然的に海岸線は長く複雑になります。ちなみに、外周が100m以上の島の数は971島、第2位の鹿児島県は605島ですからダントツ首位、さらに長崎県は面積では北海道のわずか20分の1程度なのに海岸線の長さは北海道に少し足らない4183Km(全国の12%)で第2位なのです。さらに北上する対馬暖流、黄海からの冷水、九州からの沿岸水などが流れ込み、多くの島々と複雑な海底地形によって素晴らしい漁場があちこちにあるのです。

 そのため、漁獲量だけでなく、漁獲できる魚種は300種類以上で全国1位ともいわれており、アジ、ブリ類、タイ類、イサキ、サザエの漁獲量、フグ類やクロマグロの養殖生産量、加工品ではイワシの煮干しの生産量がそれぞれ全国1位です。宿泊するハウステンボスのホテルから大村湾を、長崎のホテルから長崎湾を眺め、そのよい景色に感動するだけでなく、その海が豊饒の海であることも確認してもらいたいですね。

 この「修学旅行のしおり」には、2年生諸君の事前研究の成果が満載されています。それらも参考にしながら、2泊3日のこの修学旅行を、コロナ対策を十分に行ったうえで新しいことを学び、経験する機会とすることによって、高校時代も後半戦へと向かう君たちの西高生活の糧となることを祈っています。


大学受験には、戦略が必要である(2022/05/09)
【進学の手引き 巻頭言】

 世の中に数多あるおよそ「試験」と名の付くものは、大まかに「資格試験」と「競争試験」に二分できる。「資格試験」は自動車等の運転免許試験が好例である。運転免許取得には技能試験と学科試験ともに合格することが必要だが、後者を例にとると、各都道府県の運転免許試験場等において受験し、全問の90%以上正答できれば誰でも合格となる。つまり、資格試験には募集定員がないのであり、合格できるかどうかは100パーセント自分との戦い、絶対評価によることになる。

 しかし、君たちが挑む大学入学試験は、募集定員があるために必ず他人との競争になる。自分は素晴らしい成果を挙げていても、他人がそれ以上の成果を挙げていればこれは不合格ということ、つまり相対評価されるということだ。そこで、模擬試験を受ければ相対化された結果が偏差値や「A判定」などで示されるわけである。

 国立大学協会は今年1月、「2024年度以降の国立大学の入学者選抜制度にかかる基本方針」(方針)を発表した。その「はじめに」にはこうある。一部引用してみよう(下線は全て鈴木が付した)。「今後も様々な属性や特性のある学生に広く門戸を開き、さらに多様な能力・適性、興味・関心等を多面的・総合的に評価する入学者選抜を行っていく。

 さらに、総合型選抜及び学校推薦型選抜についてはこう言及する。「一定の学力を担保した上で、調査書等の出願書類に加えて、小論文や面接、プレゼンテーションなど多様な評価方法を活用し、これら学力試験以外の要素を加味した(中略)入学者選抜の取組を加速・拡大する。」

 大学は、国際的な競争に立ち向かうためにも「多様な」能力をもつ学生を求めている。最近しばしば使われている言葉を借りれば「とがった能力」を求めているとでもいえようか。さらに「方針」はこうも宣言する。「知識・技能を受動的に習得する能力を重視する教育から、能動的な学びや一人一人の個性及び学びのプロセスを重視する教育へと(中略)さらに進展させていく」。大学はもはや、与えられた教材の内容を卒なく理解するだけの学生を求めているわけではないことがよくわかるだろう。

 だから、受検には「戦略」が必要なのだ。君たち一人一人がもっているだろう「とがった能力」は一律でなく多様だ。高校時代に自分の多様な能力に気が付き、磨き、それを戦略的に大学入試に活用することによって、大学側のニーズに沿うことができる。ただし、その多様な能力には、君たちが心のよりどころにしている相対化の結果としての偏差値や「A判定」を付けることができない。自分に備わっているであろう「とがった能力」に気付いて伸ばすことは、ペーパーテストでは無理で、さまざまな経験を通じて生き生きした日々を過ごすことで可能になるのだろう。この半年で、というのは少しきついかな。

 ああ、私は授業や課外や模擬試験を軽視せよ、と言っているのではない。「一定の学力を担保した上で」とあるでしょう。学力をつけるための学びも重要ですよ、当然。


令和4年度1学期始業式式辞(2022/04/07)

 西尾高校百有余年の歴史の中で、今回が初めてとなる男女混合名簿による整列をして、全校生徒が一堂に会し、令和4年度第1学期始業式を迎えました。少し違和感があるけれども、新鮮な気持ちを味わうことができているのではないでしょうか。

 昨日の入学式において、360名を新たに西高生として迎えました。今年度は生徒総勢1077名でのスタートです。1年生は早く西高生活に慣れ、2年生は学校の中軸たる認識をもち、そして3年生は最上級生の立場を自覚し、早々にスタートダッシュできるようにしましょう。

 さて、君たちには、似ているけどその意味の違いがうまく説明できない言葉はありませんか。私は数年前、仕事が回らない日々を過ごしていた時、しばしば「しくじり先生 俺みたいになるな」という番組を録画して見ていました。そのときふと、タイトルが「しくじり先生」じゃなくて、「しでかし先生」だったらどんな番組内容になるのかなあと思ったのです。変な人ですね。

 そこで、今日のお題は「しくじる」と「しでかす」です。その前に、君たちは、「しくじる」ことと「しでかす」こと、どちらをよりネガティブな言葉としてとらえますか。少し自問してみてください。

 私は、権威があるとされている5種類の国語辞典で、それぞれの言葉の意味を調べてみました。まず「しくじる」は、全ての辞典に「失敗する」、3つに「やりそこなう」とありました。そして「しでかす」は、全ての辞典で「やってのける」とありましたが、3つには「やらかす」ともありました。

 どうですか。「しくじる」は失敗する、やりそこなうという、ネガティブな状況のみに使われることに異論はないとして、問題は「しでかす」の方です。

 「やってのける」というとポジィティブさも感じますがしかし、「やらかす」といわれると、ネガティブな印象しかありませんね。つまり、「しでかす」という言葉は、大変よいことでも大変悪いことでも、普通では考えられないことをしたときに用いられるのです。3年生は、君たちの西高での努力の成果が、今から言う例文どおりになるよう、頑張ってくださいね。

 「大学入学共通テストでしくじらずに、〇〇大学という難関大学に見事合格するという、大それたことをしでかした」

ただし、2種類の辞典には「しでかす」について、「多くはその結果が悪いこと、よくない行為の時に使う」との注釈が加えられています。よい意味での大それたことをしでかすのは、簡単ではないことを肝に銘じてください。

 令和4年度が、君たちにとって「自分のためになる」1年であり、決して「自分がだめになる」ことがないよう祈って、式辞とします。

(令和4年4月7日 体育館にて)


令和4年度PTA入会式挨拶(2022/04/06)

 校長の鈴木雅文です。お子様の御入学、おめでとうございます。

 本校の生徒たちは、PTAの皆様からの、学校祭を始めとする学校行事や部活動への物心両面からのあたたかいバックアップを受けて、明るくのびのびと諸活動に取り組んでいます。

 また、コロナ禍にあって、親睦の機会が減ったことはいささか残念ではありますが、PTA役員・理事の皆様方を中心に、楽しく積極的にPTA活動がすすめられていることに感謝しています。新入会員の皆様も、コロナの状況によっては制限されることもあろうかとは思いますが、可能な限りPTA活動に積極的に関わっていただけますと幸いです。

 さて、この場をお借りして、2点お話しさせていただきます。

 1点目は、入学式の式辞でも少し触れましたが、民法改正に伴う18歳成年についてです。今回の法改正は、若年者の自己決定権を尊重するものであり、若者の積極的な社会参加を促し、社会を活力あるものにする意義を有するものであり、その趣旨に疑問を挟むものではありません。

 しかし、生徒は未だ成長の過程にあって、社会的に自立するためには支援が必要であり、とりわけ、本校のように100%近い生徒が卒業後は上級学校への進学を希望する状況では、経済的にはまだまだ保護者の皆様の支援が必要となります。

 したがって、お子様が成年年齢に達した後も、生徒指導や進路指導、各種の手続きや授業料・学校徴収金などの費用の納付などについては、引き続き御協力いただきますよう、お願い申し上げます。また、学校からの案内文書などについても、引き続き保護者様宛とすることを考えています。

 2点目は、一人一台タブレットの導入についてです。

今年1月に愛知県の補正予算によって、令和4年度から全県の県立高校生に一人一台タブレットが貸与されることとなりました。昨年度はタブレットの導入にかかる費用を保護者に負担していただくことになるのでは、という話も出ていたのですが、その話はなくなりましたので御安心ください。

 しかし、今年度からの導入ということではありますが、現在タブレットが全国的に大変品薄になっているため、整備が完了するのは秋口あたりになる、という情報も得ております。それまでの間はお子様が所有するスマートフォンなどを用いて調べ学習などを進めていくことになりますので、御承知おきください。なお、スマホ等をお子様に持たせていない、という場合は、学校のタブレットを貸し出すことになりますので、その旨をホームルーム担任にお申し出ください。

 これから3年間、西尾高校の教育活動に対する御理解、御協力を賜りますことをお願いしまして、挨拶とさせていただきます。

 ありがとうございました。

(令和4年4月6日 体育館にて)


令和4年度入学式式辞(2022/04/06)

 先日、本校の校歌でも歌われる八面山に上がってきました。南には輝く三河湾に佐久島が浮かび、西には知多丘陵の向こうに鈴鹿の山並み、北を仰ぐと名古屋の高層ビルや雪を頂いた木曽の御嶽、遠くには加賀の白山を望み、そして、目を近くに移せば、春の日差しの中に、みなさんがこれから母校とする西尾高校の校舎がゆるぎなく建っている姿を見ることができました。

 ただいま入学を許可した360名のみなさん、入学おめでとう。歴史と伝統に彩られ、進取の気質を忘れずに歩み続ける西尾高校へようこそ。教職員を始め関係者一同、みなさんの入学を心よりお祝いします。

 また、本日の入学式には、正副PTA会長様に御来賓として、さらに、多くの保護者のみなさまに御臨席いただきました。厚く感謝申し上げます。

 さて、私がみなさんに、西高で身に付けてほしいと期待することについて、今日は1点に絞ってお話します。

 それは、「自分で考える力を身に付け、自分の言葉で伝えることができる」ことです。みなさんは高校受験にあたって、中学校などから与えられた、たくさんの問題を解いてきたのではないでしょうか。このスタイルの勉強は、自分は問題を解いたけれど、自分で「なぜだろう」と考えて問題を見つけ、それを解いたわけではありませんね。

 「自分で考える力を身に付けること」とは、自ら課題を設定し、自ら考えながら課題解決していく、能動的でアクティブな学びに向かう力を身に付けることです。西高では、ぜひ、この力を体得してください。

 さらに、「自分の言葉で伝えることができる」ことも大切です。我が国の社会はかつて、集団による農作業を基盤とする均質的な村落を単位として成り立っており、村では年間の作業スケジュールや役割がおのずと決まっていて、集団の中では自分の役割を果たすことがすべてでした。何かを変えたり、役割にないことをしたりするのは、むしろ集団の迷惑になることに等しかったのです。このような社会では、「黙っていても分かり合える」ため、他人に対して自分の考えを自分の言葉で伝えなくてもよかったのです。

 しかし、今はグローバリズムの進展と相まって、さまざまな分野で多様な価値観が行き交う時代です。このような状況では、「黙っていても分かり合える」はずは絶対になく、自分の価値観を自分の言葉や文章で他人に適切に表現し、主張する力が求められます。自分の言葉で自分を表現する力を、ぜひ西高で育んでください。

 保護者の皆様、本日まで慈しみ、育んでこられましたお子様の姿は、皆様の目にはどのようにお映りでしょうか。感慨もひとしおのことと存じ、心からお祝い申し上げます。

 そのお子様は、民法の改正により、成年年齢が18歳になったことで、西高在籍中には法律的に大人になります。

 このように、子供と大人がグラデーションする時期だからこそ、生徒の健全な成長のために、家庭と学校の連携が一層重要になると考えます。今後さまざまな側面から保護者の皆様の御助力をいただければ幸いです。

 結びに、入学式にあたり、新入生のみなさんのこれからの3年間が充実した日々となるように心から願って、式辞といたします。

令和4年4月6日
愛知県立西尾高等学校長  
鈴木 雅文