校長室より

 人間は同じだけ時間を与えられたとしても、その使い方によって今後の人生を大きく変えます。世の中というのは不確実であり、割り切れないものです。それを受け入れ、その中に面白みと希望を見出し、困難な状況を克服することの大切さとすばらしさを知ることが大事です。やってみないとわからないから、人はチャレンジできます。
 人工知能など先端技術の発達した時代を生きて行く若者にとって、大切なものは何でしょうか。人工知能の意味付けをするのは人間です。我々人間が「人間として正しい生き方」をしていかなければなりません。小学生の時に教わったようなことを、大人が守れなかったからこそ、今これほどまでに社会の価値観が揺らぎ、人の心が荒廃しているのだと思います。正しい生き方とは、けっして難しいことではないはずです。ごく当たり前の道徳心、「嘘をつくな」、「正直であれ」、「人をだましてはいけない」といったシンプルな規範の意味を、改めて考え直し、きちんと遵守することが、今こそ必要です。そして、若者たちが将来において、子供たちに向かって堂々とモラルを説ける大人になってください。
 さて、今年は、東京オリンピック、パラリンピックが開催されます。アスリートたちの活躍とその道のりを知り、感動を得ましょう。一人のアスリートがこんなことを言っていました。「目標を叶えられたのは、他人と比較をするのではなく、過去の自分と現在の自分を見て、『昨日より良くなった』、『過去の自分より良くなった』と言えるように努力を重ねられたからです。その積み重ねが自分を成功へと導いてくれました。」
 アスリートたちは、人の力を借り、人から学び、そして、人と支え合います。人間は自分一人で物事を成し遂げることはなかなかできません。誠実で、学ぶ姿勢のある人は、人の力を借りることのできる人です。
 現在、世界に約77億を超える人々が暮らしています。その中で豊かな国で暮らしている人は、20%以下に過ぎないと聞きます。80%以上の60億もの人々が開発途上の貧しい国に住んでいます。多くの人たちが苦しんでいるのが現実です。食べ物がない、安い薬さえも手に入れることができないなど、貧しさが原因で亡くなる子どもの数は、実に5秒に1人いると言われています。このような現実があることを忘れてはいけません。
 私たちは、時間に追われる生活の中にあっても、世の中の現実を理解し、人の心を理解しようとする人間でなければなりません。若い人たちには、そのような思いやりのある人間であっていただきたいと心から願います。
 ワールドカップイヤーからオリンピックイヤーに変わり、日本国内は盛り上がりを見せています。日本チームの躍進には目を見張るものがあり、私たちは代表選手の活躍に期待を寄せています。各選手たちの成長にはそれぞれの根拠があります。私たちはそれを知り、自身の力にしたいものです。
 2012年から2015年までラグビー日本代表のメンタルコーチを務めた荒木香織さんという方がいます。当時のヘッドコーチであるエディー・ジョーンズ氏に請われた彼女は、いわゆるロスジェネ世代の人間です。ロスジェネとは云うまでもなく「ロスト・ジェネレーション」の略で、失われた世代という意味です。バブル崩壊後から約10年間の期間に就職活動をした人たちのことです。仕事にありつけることの難しさを知っているからか、仕事に対してとても前向きな人が多いと聞きます。もちろん個人差もありますが…。仕事に熱く、スキルも確かな人が多い世代と言われます。そんな彼女が手がけた日本代表チームの意識改革の一部を紹介します。
 彼女はこう考えました。日本人のメンタルには、より輝ける才能がある。真摯で素直で、他者のために体を張れるメンタルがある。これに正しいリーダーシップを身につければ、世界と伍していける。トップダウンではなく、適切なリーダーシップを持った指導者により、選手が考えながらプロセスを歩めるような働きかけをするチームはみるみる成長し、結果を出すことができる。
 リーダーシップはスキルであり、鍛えることができる。特別な才能のある人だけが持ち合わせる「資質」ではなく、誰でも伸ばすことができる「技術」です。
 強い日本代表チームの歴史は、2015年の南アフリカ戦から変わりました。優れたリーダーにより、負けることしか知らない日本チームの『マインドセット』を変えたのです。  彼女が成長の土台となるマインドセットとして取り上げたのは、次の3点です。
 1 新しい経験を拒まない
 2 習得への情熱を持つ
 3 限界を決めない
 「失敗してしまうのではないか?」「自分はできない人間に見えているのではないか?」というように、「結果」に関わることばかり考えたり、自分に点数をつけたりすることはやめましょう。できるようになりたいという情熱と、苦手なスキルにも取り組む実行力を持つことが重要です。人より頑張るのではなく、あくまでも秤は自分の中にあります。自分の限界をちょっと超えることを繰り返すことで、いつの日か凄くなった自分に気づくようになりましょう。皆さんが頑張る姿を応援しています。
 2014年、夏の甲子園をかけた石川県大会決勝。8回が終わって0対8。小松大谷高校が星稜高校を相手に大きくリードして迎えた最終回。星稜は小松大谷のエースにたった2安打に抑え込まれていて、1点も得点できていません。どう考えても、ここから1回で逆転勝ちできる状況ではないのです。しかし、驚いたことに、当の星稜の選手たちは、まったく諦めていないのです。試合の序盤に立ち上がりを攻められ大量得点を許した星稜のエースは、いったんライトの守備に就いていましたが、再びマウンドへ送られました。最後の夏、最終回はエースに再度チャンスを与えようという監督の計らいでした。そんな監督の計らいに答えたのでしょうか。三者三振!彼は完璧に役割を果たし、9回を無失点に抑えました。満面の笑みでマウンドから全力疾走で帰ってくるエースを、星稜の選手たちが最高の笑顔で迎えます。そして、奇跡は起こりました。9回の星稜の攻撃は、2番からです。ここで、監督は、控えに回り試合に出ていなかった3年生のキャプテンを代打に送りました。四球を選び、出塁しました。反撃のはじまりです。続く3番の打順も、控えに回っていた3年生を代打に送りました。彼は期待に応えて右中間を破るタイムリー3塁打を放ち1対8に。ここから、打者13人の猛攻が始まりました。終わってみれば、9対8。歴史的大逆転サヨナラ勝ちで、甲子園行きを決めました。なぜ彼らはこのような奇跡が起こせたのでしょうか。「優秀な選手が集まったからでしょ」と思うかもしれません。確かに、星稜と言えば、松井秀喜選手を輩出した名門高校です。能力のある選手が揃っています。でも、それだけでは勝てません。星稜高校は、2013年の時点で5年間、甲子園から遠ざかっていました。星稜復活の理由は、メンタル面の強化でした。「メンタルの強化だけでそんなに変わるの」と思うかもしれませんが、トレーニングを始めた2013年の夏に、いきなり6年ぶりに甲子園に出場し、翌年である2014年の夏は、ベスト16まで勝ち上がりました。
大逆転劇を演じた、星稜野球部のメンタルトレーニングを担当したのは、飯山晄朗さんという方でした。彼の指導の中の言葉を5つあげます。
(1) 「なぜできない?」ではなく「どうやったらうまくいく?」
うまくいっているイメージをつくれると実現可能性が高まる。
(2) 「やらなきゃどうなる」ではなく「やったらどうなる」
ワクワクして気持ちが高ぶり想像以上に頑張れる。
(3) 「どうしたらいい?」ではなく「どうなっていたらいい?」
ゴールを明確にすれば、知恵もやる気も沸いてくる。
(4) 「目標は?」ではなく「1年後にどうなっていたい?」
『夢が叶うかも』という気持ちになれば、どんどんやる気は高まる。
(5) 「目標は?」ではなく「どんな感情を得たい?」
得たい感情が明確になれば、目標に向かう推進力が生まれる。
 京セラの名誉会長であり、KDDIの最高顧問である稲森和夫さんは、こんなことを言っていました。「潜在力を信じること」、将来の自分なら可能であると未来進行形で考えることが大切です。まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべきです。
 人間の能力はいつまでも同じままではありません。やればやった分だけ、変わることができるはずです。現状の自分の能力を物差しにして測るのではなく、未来進行形で考えることが重要です。人間の能力は未来に対して常に開かれているということです。
 今年夏の柔道世界選手権において、81kg級でイランから出場したサイード・モラエイという選手がいます。準決勝でイスラエルの選手と対戦することになりましたが、自国のイラン政府から敵対するイスラエルの選手との試合を棄権するように圧力がかかったのです。彼はそれを拒否し試合に出場しました。身の安全確保のためにドイツに渡りましたが、そこで難民認定を受けました。そして、今回の大阪でのグランドスラム大会で難民選手団として出場をしました。昨年の世界選手権では優勝する実力者ですが、この大会では準々決勝で日本の藤原選手に敗れ、敗者復活戦でもオランダの選手に敗れました。「ほとんど準備ができずに50%の力しか出せなかったといいます。現在モンゴルの国籍を取得し、オリンピックでのメダル獲得を目指しているそうです。〈Br〉  次はアフガニスタンで亡くなられた中村哲さんです。1986年から中村医師は、医師がいないアフガニスタンの山岳部で医療支援の活動を始めました。汚れた水しか飲むことができない人々のために「薬よりきれいな水を」と考え、井戸掘りや灌漑用水路の建設の支援事業に取り組みました。中村さんが取り組んだ灌漑用水路建設のおかげで、アフガンの荒れ果てた大地に少しずつ緑が戻ってきました。1万6500ヘクタールの土地に水を送り、およそ65万人分の食糧を確保することが可能となりました。「生きる条件を整えることこそ、医師の務め」という彼の信念を貫きました。
 なぜ中村さんが殺されることになったのか未だ不明ですが、水利権トラブルがあったか、川から用水を引いため、川の流れの変化または流水量の減少について、一部の人たちが不満に思ったのかと聞いています。
 最後にモンゴルのマンホールチルドレンについてです。以前NHKの番組に取り上げられました。多くの人は「モンゴル」と聞くと、草原で羊を飼い、馬に乗り、青々とした雄大な自然に囲まれて暮らす人々の様子を連想するのではないでしょうか。しかし、モンゴルにはそういったイメージとはほど遠い生活をしている子どもたちがいます。モンゴルは、真冬には気温が−30℃にまで下がる極寒の地です。様々な理由から、行き場を失った子ども達が暖をとるために行きついたのがマンホールです。マンホールの中には温水を供給するパイプが通っていて暖かいのですが、汚水が漏れていたり、虫が湧いていたりして感染病や皮膚病の恐れのある劣悪な環境です。ネズミも大量に発生し、寝ている間に唇や耳をかじられる子もいるそうです。モンゴルにマンホールチルドレンがたくさんいるのは、特殊な経済的理由があります。モンゴルは、1924年から70年間社会主義国でした。その間、モンゴルはCOMECON(旧ソ連主導のもと東ヨーロッパ諸国を中心とした社会主義国の経済協力機構)に加入し、ソ連から支援を受けていました。その後、ソ連が崩壊し支援が途絶えたため、モンゴル国内の経済は崩壊しました。失業率は60%を超えたと言われています。急激な経済の悪化により、捨てられる子どもやアルコール中毒による虐待によって家から逃げ出す子どもが増えたそうです。
 人間にとって悲しいこと、不幸なことは可能性を失われることです。だから、可能性があるのに「無駄だ」とか「無理だ」というのは辞めにしましょう。私は以前、定時制高校に勤務したことがあります。そこに通う生徒たちの現状を知り、深く考えさせられました。
 給食時間にいつも一人で食べている男の子がいました。他の生徒に「なぜ彼は1人で食べているのか」と聞いたら、「だって、臭いから誰も寄りつかないよ」と答えました。私は彼の隣で給食を食べましたが、確かに臭いました。シャワーが出る部屋があるのでそこで体を洗うことにし、後で話をしました。彼は、「親はどこかへ行ってしまった。お金の取り立てがあり、家には帰れないから野宿している。」と言いました。
 授業が終わってもなかなか家に帰らない女の子がいました。職員室の隅でずっとゲームをしており、私が声をかけるようになってからは、余っている机を横に置き、私が帰るまでゲームをし続けていました。なぜ帰らないのかと理由を聞くと、「父親が母親じゃない別の女性と家にいるから」と言いました。事情のある生徒が何人も通っていましたが、学校は安心できる場所になっていました。小学校、中学校時代はほとんど学校に通っていない子も、定時制高校に来て皆勤していることにびっくりしました。私は、普通の生活をしていることが非常に幸せなことであることだと思い知らされました。この学校に勤務した3年間は大変貴重な時間であり、自分の生き方を反省させられる3年間でした。
 私たちは今の生活を当たり前と思わず、学べることやしたいことに挑戦できることに感謝し、精一杯取り組まなければいけません。貴重な経験を積み重ね、やがて誰かの力になりましょう。
 われわれ戦争を経験していない人間は、今こそ戦争での事実を正しく知り、二度と戦争を起こさないように後世に伝えていかなければなりません。
 「世界で一番新しい国」・・・。この言葉から、どんな国を想像しますか。その国は希望や平和に満ち溢れているだろうか。若々しく、大きな期待を持たれている国だろうか。テクノロジーが発展した近未来的な国だろうか。
この地球上で一番新しい国、それは2011年にスーダン共和国から独立した「南スーダン共和国」です。でも、この国ほど国内の惨状が世界に伝わっていない国はないと言われています。「世界で一番新しい国」の実態は、残念ながら、どこよりも「暴力にまみれ、命がたくさん消える国」なのです。
 「国境なき医師団」(Medecins Sans Frontieres= MSF)で手術看護師として、医師や他のスタッフと共に医療活動をしている白川優子という人がいます。彼女はこの南スーダン、イラク、シリアやイエメン等の過酷な紛争地での経験を『紛争地の看護師』という本の中で伝えています。
本の中からいくつか紹介をします。
スーダン人民解放軍と呼ばれる政府軍と反政府勢力との戦闘が始まるということで、大多数の市民が広大な国連敷地内へと避難しました。空港は反政府勢力に支配され、全フライトの離着陸が不可能となりました。医療チームが全員撤退したら、戦闘で犠牲となる人々を救えないということで、白川さんを含む一部のメンバーが残ることになりました。血を流し傷ついた人々がつぎつぎとやってきましたが、緊急の避難であったため、医療物資をほとんど持ち合わせていません。消毒薬とガーゼ程度しかなく、手術が必要なほどの大けがに苦しむ多くの患者さんたちには何もしてあげられませんでした。気温が50度を超える猛暑の中、血を流す市民たちのうめき声がだんだん小さくなっていった。世界の誰も注目しない戦争の、報道されることもない暴力によって人々は亡くなっていった。チームスタッフたちには彼らの身元を確認する術もなく、せめてもの思いで遺体を入れたバックに日付と性別、推定年齢を書いたそうです。
 次は、イラク第2の都市モスルでの激しい戦闘についてです。過激派組織ISに3年間にわたり支配されたモスルは、イラク軍などによる奪還作戦の末、2017年7月に解放されました。しかし、奪還宣言から5日が経過した7月14日、空爆の音がまだ続いていました。日本ではモスルに平穏が訪れたと思われ、モスル関連のニュースはテレビから消えています。この日、運ばれてきたのは50代の女性でした。貧血と栄養失調のうえ彼女は空爆で片足を失っています。夫と4人の子供を失い、彼女だけが生き残ったことに絶望していました。白川さんは仕事中に泣かないようにしているが、その日は彼女の手を握りながら泣きました。彼女には何の罪もありません。
 最後の話です。ある日、モスルの病院全体に大きな緊張が走りました。警察官に厳重に囲まれた患者が運ばれてきたのです。外国人の女の子でした。モスルで外国人の子どもと言えば身元は明らかです。IS戦闘員の子供なのです。両親は自爆テロで亡くなったが、彼女はその時そばにいた生存者でした。すぐに治療に取りかかろうとしたが、彼女は恐怖に震え、シーツを頭から被り、姿を隠してしまいました。知らない大人たちが知らない言葉を使いながら、上から覗いてくるのです。それから数日間は彼女を巡って、イラク人スタッフたちがてんやわんやであったようですが、入院させることとなりました。女性スタッフたちが入れ替わり立ち替わり世話を焼き始め、ぴったりと離れず監視をしていた男性警察官たちも追い払ってしまいました。彼女は泣いてばかりでしたが、スタッフの世話により、徐々に食べたいものを口にするようになっていきます。
 モスルを3年間も恐怖に陥れたIS戦闘員の子供にスタッフたちは心から優しく接したのです。市民たちの多くが、自分の家族または親戚の誰かしらを殺害されており、ISは当然市民からは憎い相手であるに違いありません。その憎き相手であろうISの子供の世話に、モスル市民が一生懸命になっていました。
 未だに数多くの国が紛争下にあります。一部の人間の欲望により、今日も大勢の市民が血を流しています。その人たちの叫びを私たちは伝えていかなければなりません。
 先日の大会で奮闘する生徒さんの姿を見て大変感動をしました。想像以上の力を出せたり、思もよらぬ悔しい結果になることもあります。その日のために準備してきたことが発揮できるか否かは、以前にもお話ししましたが、気持ちの持ち方や心の在り方に依ります。しかし、一生懸命努力し、準備をしてきたのであれば、結果を受け止めた後に、今後の自分に生かしていけるはずです。 7月12日にボクシング世界ミドル級タイトルマッチが行なわれました。<br> 昨年の12月にチャンピオンのタイトルを失った村田諒太選手がみごとにベルトを奪回しました。勝負に負けた時、村田選手の頭を「引退」という言葉がよぎったそうです。しかし、負けたままの自分の姿を子どもに見せたくないと思いました。彼は今回のタイトルマッチが決定してから、試合の分析を徹底して行なってきました。負けた前回の試合はこれ以下の試合はないという、最低の試合だったようです。その後、試合のためにすべきことはすべて練習の中でこなしてきたそうです。試合は練習通りの展開で進みました。気持ちの準備もしっかりできていました。そして、再びチャンピオンベルトを奪取することができました。この試合での彼の姿を観戦した人はおそらく全員が心を打たれたことでしょう。
さて、話は変わりますが、京セラ会長、KDDI会長、JAL会長を経て、現在は若手経営者の育成に取り組んでみえる稲盛和夫という方を知っていますか。彼が言っていたことを紹介します。
世の中の物質は、「可燃性」「不燃性」「自燃性」の3つに大別されます。「可燃性」は火を近づけると燃え上がるもの。「不燃性」は火を近づけても燃えないもの。「自燃性」は自分から燃え上がるものです。この3つのタイプは人間にとっても同じです。「自燃性」の人、自ら燃える人になってください。「自燃性」のタイプの人間になるには、「仕事(手がけたこと)が好きになる」ことです。仕事をとことん好きになっていき、その仕事を通して人生を豊かなものにしていくことができます。つらい仕事を生きがいのある仕事に変えていくことが肝心です。
 それでは、自分の仕事がどうしても好きになれない人はどうすればよいのでしょうか・・・。とにかくまず一生懸命、一心不乱に打ち込んでみることです。次第に結果がともなうようになってくるでしょう。うまくいけば、周囲からの評価も高まり、褒められることもしばしば起こってきます。「不燃性」の人にとって、仕事はいつまでたってもつらいものです。「やらされている」という意識を払拭しないことには、決して働く苦しみから逃れることはできません。
  「好きな仕事をする」もしくは、「仕事を好きになる」かの、いずれかしか選択肢はありません。好きな仕事を生涯の仕事にできる人は、世の中にはそれほど多くいないと思います。  現在、目の前にある仕事に向き合い、「好き」になるまで、徹底して打ち込むことが、充実した人生への近道となるでしょう。
  「天職」という言葉がありますが、それは決してどこからか降ってくるようなものや、不意に出会えるようなものではありません。自らつくり出していくものです。
勉強して難関大学に入学すれば、優れた教授に出会うことができ、すばらしい話を聞くことができるかもしれません。自分が取り組んでいる分野において、懸命に努力していれば、素晴らしい人に巡り会うチャンスに恵まれます。そんな人々の力を借りながら、先に進めるようになると良いですね。大学に進学することは手段です。目標ではありません。世の中をより良く生きていくため、幸せに生きていくために、いろんな手段を使い自分自身を高めていきましょう。
 勉強をする意義を見失いかけたら、人と出会うことにより、先に向かう気持ちに変化を与えましょう。出会いの少ない人は、本を読んでみるのも良いでしょう。私は、学生の頃あまり本を読まなかったのですが、いろんな人との出会いがありました。本を読むことは人との出会いと同じです。皆さんにとっては大切なことだと思います。自分に変化をもたらしてくれると思いますよ。
 松任谷由実さんの曲の一節に「カーテンを開いて静かな木漏れ日のやさしさに包まれたなら目に映るすべてのことはメッセージ」とあります。綺麗の詩に対し、「どんな状況でこの曲を作ったのですか」とある方が聞きますと、「(特に素晴らしい景色を見ていて作ったわけでもなく、)適当ですよ」と彼女は答えたそうです。
 マイクロソフト社の創業者であるビル・ゲイツさんは、御存知のとおり情報処理能力に非常に長けています。彼は生徒でありながら自分が通う学校の時間割編成を任されましたが、好きな女の子を自分と同じ授業に入れるように時間割編成したそうです。
 NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」で司会を務める脳科学者の茂木健一郎さんは、高校時代にM先生から数学を学びました。周囲の生徒は「M先生に学ぶと二浪するぞ」と噂していたそうです。M先生はある授業で「数直線上の0.5上に点を打つ確率は数学上ゼロである」「しかし、確率がゼロということは、絶対におこらないということではない」という話を1時間続けてしまうそうです。
 何か1つのことで身につけた集中力は、他のことにも応用は可能です。考える力を養い、地頭を鍛える学習をすることで、自分だけのオンリーワンの能力は身について行きます。
 世の中は、情報化時代(Society4.0)からAIが情報を管理し、必要な時に必要な情報を人間が利用する時代(Society5.0)へと移り変わっています。目まぐるしく変化する社会に的確かつ迅速に対応していく力を持つことは必要ですが、「時代を超えて変わらない価値のあるもの」を大切にすることを忘れてはいけません。情報を管理するAIをつくるのは人間であり、AIに評価関数を落とし込むのも人間です。人間の価値観により提供される情報が変わるかもしれません。これからは価値観が問われる時代になってきます。想像を超える速さで進む社会を生きる若者には、確かな判断力が求められることになります。
 それぞれの感性を磨くことと、しっかりした価値観を持つことがこれからの時代を生きる若者に必要になってくるでしょう。
 人間社会は、狩猟社会から農耕社会、工業社会、情報社会へと進み、人間の力では処理・管理しきれない情報が溢れる社会へと移り変わってきました。そして人類は、人工知能(AI)により必要な情報が必要な時に提供される社会(Society5.0)を築こうとしています。これからの社会は、今まで経験したことのない早さで、今まで経験したことのない大きさで、変化していくと認識しておかなければなりません。私たちは目まぐるしく変化する社会に対応する力を備えておく必要があります。「時代の変化とともに変えていく必要があるもの」に的確かつ迅速に対応していくことを理念としつつ、「時代を超えて変わらない価値のあるもの」を大切にしていかなければなりません。 いつの時代も、「学び」においては、感動を覚え、疑問を感じ、推論するという過程を大切にしていくことは大切です。ただたくさんのことを覚え込むことや、与えられた問題をできるだけ多く解くことに終始する学習では、学ぶことの面白さは分からないし、学習への興味や関心は沸いてきません。試行錯誤を繰り返し、何度も失敗を重ねた末に、初めて味わうことのできる「発見する喜び」や「創る喜び」などを体験することは大切にしたいものです。
 皆さんは、自分が憧れている人はいますか。その人のようになりたいですか。でも、やっぱり『自分とは違う世界の人』だと思ってあきらめますか。
 アメリカには高卒のカリスマ的なコーチがいます。その人は、アンソニー・ロビンスという人ですが、トニーという愛称でアメリカでは広く知られ、尊敬を受けています。彼は、ベストセラーの著者としても大成功をしています。彼の本を読んで人生が劇的に変わった人が何人もいるようです。ほんの一部ですが、紹介をしたいと思います。
 1  モデリングというテクニック
   その分野で卓越した実績を出している人の戦略をそのまま真似するテクニックです。口グセや仕草まで自然に身についてしまうかもしれません。何か優れた成果を上げた人がいたら、「なぜ彼はそのような結果を出せたのか」と考えることを習慣にします。そのような視点を大切にしていれば、自分のオリジナルの戦略や対処法が自然と練り上げられ、人生が驚くほど豊かに、面白いものになっていくようです。
 2  「人を動かす」言葉を使いこなす
   コミュニケーションにおいて柔軟性を発揮できる人は、相手を自分の思ったとおりに動かすことができるし、仲間を増やすこともできます。相手が自分の言葉をどのようにとらえるのかを先回りして考えてから話すようにします。また、自分の意見と違うなと思った時でも、頭ごなしに否定するのではなく、いったん「そうですね」と相手の世界に入り込んでから、自分の考えを伝えるようにします。たったそれだけのことで、相手といいコミュニケーションがとれるようになるそうです。
 3  自分に制限をつくらない生き方
   ほとんどの人は、「自分の人生とは、だいたいこんなものだ」と思い、今までの価値観の延長線上で物事を考えてしまう。「自分でつくった制限」の中でしか考えられない。彼の教えの一番本質的な部分は、自分の人生の制限を設けないことである。思考を自由にすることで、人生は自由になる。
 催眠状態になっている人に、これは熱した金属だと言って氷の固まりを肌に当てると、そこに火ぶくれができるそうです。また、この薬には効能があると説明を受けた人が、偽薬を飲んでも説明どおりの効果を感じるといいます。薬がいつも効くとは限らないが、信念がなければ回復することはないといわれます成功を自分のものにするには、成功した人の信念を自分のものにすることです。結果を大きく左右するのは、「何を信じていたか」です。一貫性のあるメッセージを脳に送り込むことで、メッセージは信念に変わります。信念は、精神状態や自分の行動を支配する内面のイメージであり、信じる内容いかんで、力を得ることも失うこともあります。大事なことは、「どのように信念を持ち、どのように信念を育てるか」です。
 信念は自分で選び取るものであり、そのことに自分で気がつけば、より素晴らしい人生を手にできます。自分に限界を設けるような信念を選ぶか、自分を後押ししてくれる信念を選ぶかは、自分次第です。成功や期待通りの結果に直結する信念を選択し、行く手を阻みかねない信念は捨て去りましょう。 。 
 プロ野球で打撃コーチを務めてこられた高畠道宏さんという方を知っていますか。14年前に60歳で膵臓癌のために亡くなられました。彼は、プロ野球7球団で30年にわたり、打撃コーチを務め、イチローや元中日ドラゴンズ監督で現役時代に3度の三冠王を達成した落合博満らの好打者を育ててきた指導者でした。
 平成14年の秋、選手が打撃不振に陥っていたため、彼は、50歳半ばにして心理学を学ぶことを決意しました。「心理学を学ぶためには教職課程が最適である」と聞いた彼は、コーチ業の合間に大学の通信課程で5年をかけて履修しました。教員免許取得のため、高校で教育実習も行いました。教育実習先の高校が私立高校であったため、校長が、「この学校で教員免許を生かしてみないか」と話を持ちかけました。彼は、プロ野球の世界で複数年契約をせず、常にクビと隣り合わせの1年契約を自ら志願していました。いつでもチームを変わる覚悟を持って仕事をしていました。プロ野球チームからのオファーもかかっていたのですが、その高校に勤務する決断をしました。「3年以内に甲子園で全国制覇をする」と宣言した矢先、病院での検査結果の報告で「余命6ヶ月」と告げられました。進行が早く、早期発見が難しい膵臓癌であったため、体力に自信のあった彼も普段のケアが疎かになってしまっていたようです。
 高畠さんが高校で勤務したのは、たったの1年半であったが、その後、大学進学率が伸び、彼が惚れ込んで応援に行っていた剣道部は、全国大会で2年連続日本一となりました。また、直接指導することがなかった野球部には、(プロ野球経験者は教師になって2年間、高校野球の指導が禁止されている)「伸びる人の共通点」として彼の挙げた7つの言葉が残っています。
  1 素直であること
  2 好奇心旺盛であること
  3 忍耐力があり、諦めないこと
  4 準備を怠らないこと
  5 几帳面であること
  6 気配りができること
  7 夢を持ち、目標を高く設定することができること
 高畠さんは、ある時、コーチとして一番大切なものは何かと聞かれ、「教えないこと」と答えています。こうなりたいという夢や目標を、まずは子どもたち自身が持つことが大切であると考えていたようです。 
 現代は「要領」よりも「容量」を重視する時代へと変わってきています。天才的な才能を必要とする「要領型」人間よりも、失敗も貴重なデータとして積み上げ、キャパシティーを増やしていく「容量型」人間が今後は求められることになるでしょう。世の中は成長社会から成熟社会へと移行してきており、外的に利益を発生させることよりも、内面の充実を追求する社会へと変わってきました。失敗すら経験値とし、人間としての許容量を増やしていくことが重要とされています。経験こそが、経験による感動こそが、自身の力になってくれるでしょう。
 東京オリンピック・パラリンピックが間近に迫り、日本人アスリートの活躍が目立つようになってきました。世界の頂点に立つスポーツ選手も誕生しています。そんなアスリート達の周囲には、活躍を支えてくれる人たちの存在があり、彼ら彼女らは、その人たちの支えをエネルギーに変えて挑戦をしています。
 しかし、一方では世界の至る所でテロ事件が起こり、幼い命も絶たれています。先進国に生まれていれば、防げたはずの肺炎、マラリアなどの感染症、栄養不良等で犠牲となっている子どもがいます。年間810万人、毎日2万2,000人以上の子どもが5歳を向かえる前に命を落としています。貧しい地域や紛争地帯、医療施設のない土地、劣悪な環境で必死に生きる子どもたち、我々は、様々な立場にある人々の目線に立てる人間でなければなりません。自分にはできても、できない人々のことを理解できる人間にでなければなりません。
ある人から、「心の才能」という言葉を聞きました。「才能」という言葉を聞くと、記憶力がいいとか、走るのが速いとか、音感がいいなどといったことを思い浮かべます。しかし、どんなに才能がある人でも、うまくいかない時は必ずあるし、スランプにもなります。そんな時、ついつい「自分には才能がない」と評価してしまいます。「自分には向いていない」と思ってしまうことさえあります。でもそれは違います。人間にとって一番大切なものは「心」です。うまくいかなかったら、心の中で「頑張ったつもりだったけど、きっと努力が足りなかった。もっと頑張ろう。もっと努力しよう。」と思えるかどうか。これが「心の才能」です。
 また、こんな言葉も聞きました。「自分の心を感動させられない人間が、他人の心を動かせるわけがない。」という言葉です。演技をするスポーツ選手は審判の心を動かさなくてはなりません。審判の心を感動させるのは、選手自身の心であり、自分が感動する人間でなければ、絶対に人を感動させることなどできません。いろいろな知識の引き出しを持ち、常に自分の心を高めていく、心の豊かな人間になりましょう。自分の人生は、周囲の人々から培った人間力によって、花開くことになるでしょう。後で人生を振り返った時に、開花するまでの長い時間を諦めずに信じる力や思いを伴った努力があったからこそ、幸せを勝ち取ることができたと言えるようにしましょう。弱い時代は長く続くかもしれませんが、「信じたからこそ今がある」と言える日が必ずやってくると思います。
贈る言葉
1 義務ではなく、権利だと気づく
  私は中学校時代に陸上部に所属し、中長距離走を走っていました。練習はきつく、毎日の練習は自分の限界を超えるものでした。練習をするのが嫌になってしまったある日、テレビドラマで自身の身を苦しみの状況に投じ、大きく成長していく青年の姿を目にしました。自分に与えられているのは、「義務」ではなく「権利」なのだと思うことができました。今まで、「やらなければならないという量」が「自分がしたい量」を上回っていた。と考えれるようになりました。そして、同じ練習をしても前ほど辛く感じなくなりました。
2 相手のチューニングを合わせる
  同じ内容の話でも伝え方によって言葉の浸透度は全く変わります。要は、こちらの音(言葉)が聞こえる状態にさせることが肝心です。そのためには、それなりの準備とテクニックが必要ですが、そう難しいことではありません。自分だったらどんな話を聞きたいかを考えれば良いことです。
3 リーダーに必要なのはキャパシティ
  リーダーの能力というのは、様々な状況を体験し、人との関わりの中からつくり上げていくものです。何が求められ、どう捉え、そして何を伝えるかのトレーニングです。毎日の生活の中で、「分析力と明快な言葉に置き換える能力」を養いましょう。難しい言葉ではなく、明快な言葉です。
4 「理不尽」は「おもしろみ」と捉えることもできる
  私自身、体育会系の状況下に身を置き、理不尽を感じることが何度もありました。生徒の皆さんも社会に出てから、そのような状況に身をさらすことがあるかもしれません。一つの方法としては、理不尽を感じた時に「もしかしたら、今の状況は、人生をより楽しくするためのものなのかもしれない」と考えることができれば良いかもしれません。その状況を変えていくこと、乗り越えていくことが達成感や喜びになります。
 皆さんは「見上げてごらん夜の星を」という曲を知っていますか。2年程前にゆずの二人の歌声がテレビのコマーシャルで流れていましたが、覚えていますか。
 私は小学生の頃からこの曲を聴いていました。但し、その頃歌っていたのは、坂本九という歌手でした。国民の間では「九ちゃん」という愛称で呼ばれていました。彼は33年程前の1985年8月15日の午後6時56分に、航空機事故でこの世を去りました。私は、彼が亡くなったことを聞き、大変悲しくなりました。なぜかというと、彼の歌うこの曲を聴いて何度となく励まされ、勇気をもらったからです。でも、悲しい気持ちになった本当の理由は、その後、彼の新しい曲が聴けなくなってしまったことではないかと思います。人の死が悲しいのは、過去が無駄になるからではなく、新しい可能性が無くなるからです。
 人間にとって最も辛く悲しいことは、可能性を失われることです。ですから、「やっても無駄だ」とか「どうせ無理」などという言葉を人や自分に向けることは絶対にやめましょう。これは、くだらない言葉です。

   見上げてごらん夜の星を
   小さな星の小さな光りが
   ささやかな幸せをうたってる
   見上げてごらん夜の星を
   ボクらのように名もない星が
   ささやかな幸せを祈ってる
   手をつなごうボクと
   おいかけよう夢を
   二人なら苦しくなんかないさ

 北海道に赤平という場所があります。昔炭鉱があった頃は6万人いた住民は、現在では1万200人程になってしまいました。赤平市の税収では市役所の職員の給料もまかなえないような状況の町です。そんな町に植松電機という会社がありますが、この会社の社長である植松努さんという方は全国各地で講演をされています。私も直接お話をお聞きしたことがあります。
この植松電機という会社について少し紹介いたします。20人程の従業員でリサイクルに使うパワーショベルに取り付けるマグネットを製造しています。そして、もう一つの仕事が宇宙開発です。ロケットや人工衛星を作っています。ただ、宇宙開発の仕事はお金を稼ぐ対象ではないらしく、世の中から「どうせ無理」という言葉を無くすためにやっていると聞きました。
 植松さんはこう言いました。大量生産・大量消費社会はもう終わりつつある。今までは、「こんなふうにした方が製品はもっと良くなる」と分かっていながら、「でも、そんなことをしたら自分たちの首が絞まる」と考え、嫌々ながらも壊れるものをつくってきました。余計なことはせず言うとおりに働いてくれる人が必要とされていました。しかし、これからは、たくさん消費しないと成り立たない大量生産社会から、節約した方が豊かになる社会に変わりつつあります。では、その節約社会で大切になる仕事はどんな仕事でしょうか。それは、「0から1を生み出す仕事」です。その仕事をするためにどんな人たちが必要かというと、頭のいい人でも高学歴の人でもありません。「やったことのないことをやりたがる人」、「あきらめない人」、「工夫する人」です。この人たちのキーワードは、「だったら、こうしてみたら」です。
繰り返しますが、植松さんたちにとって、宇宙開発は「手段」であり、本当の目的は、「どうせ無理」という言葉をこの世からなくすことです。
「やっても無駄だ」とか「どうせ無理」などという言葉を人や自分に向けることはやめ、「だったらこうしてみたら」と考えるようにしましょう。AのプランがダメならBのプラン、BのプランがダメならCのプランと考えるかぎり大丈夫です。
よく似た言葉に「やったことがないからできない」と「知らないからできない」という言葉があります。この言葉も使うのをやめましょう。なぜなら、人間はやったことがないことや知らないことに出会うことがほとんどだからです。
最後に、植松さんの講演で心に残った言葉を紹介します。
・失敗に罰があると、罰が嫌だから失敗を隠すようになる
・人間は失敗をするが、失敗は乗り越えたら力になる
 ・「失敗したらどうするの」ではなく「失敗したらどうすれば良いのか」を考えよう
 落語家の笑福亭鶴瓶師匠は、地方での落語会がある場合に早めに現地入りをし、会場周辺のいろんな場所を訪れ、それを話題にしていち早くお客様との距離を縮めて信頼関係を築くそうです。例えば、「おばあちゃんが1人でやっている駅前の喫茶店にいた犬の話」などに触れると、その喫茶店に行ったことのない人ですら、鶴瓶師匠の人柄あふれる口調もあって、親近感が沸き、地元の観客は瞬時にして信頼を寄せることになります。
 落語というのは、本題に入る前の導入部分、「マクラ」と呼んでいますが、そこでお客さんとの間の共通点を発掘するそうです。マクラでくすぐることでお客さんとの距離は格段に縮まるようです。
 霊長類の中で白目があるのは人間だけだと言います。動物にとって白目はいわばスキです。白目というスキがあるせいで、視線の先を他者に読まれてしまうことになります。動物界における弱肉強食では、ハンディキャップになります。にもかかわらず、なぜ人間は白目のある道へと進化していったのでしょうか。「目は口ほどに物を言う」ということわざの中にそのヒントがあります。確かに白目は自然界においては圧倒的に弱点です。しかし、人間はそれよりもコミュニケーションを優先してきたのではないかと言われています。落語をする人たちは、言葉や手振りや顔の表情で伝えようとします。目の動きから、刀の長さや雨の具合を想像し、信じられないほどの大金を思い描いたりします。名人クラスの落語では、目の動きだけで笑いが漏れたりします。聞き手のお客様には無限の想像が広がります。落語会のお弟子さんたちは、修行の身である時期にこのような技を身につけていきます。本校のほとんどの生徒が、専門的な知識や技術を習得するため、卒業後に進学をします。習得した知識や技術は、コミュニケーション力によって生かされます。「文明の進歩と反比例するように、人間は他人を見なくなる」と言った人がいますが、私たちはそうならないためにも、落語から学んでみてはどうでしょう。
 ディズニーランドの元人材トレーナーをされていた方で櫻井恵里子さんという方が、『心くばりの魔法』という本を書かれています。彼女はこんなことを言っています。「世の中には、なぜかみんなに好かれ、仕事がうまくいく人がいます。その人は魔法を周囲と自分にかけることによって、人の気持ちを癒やし、心をつかんでいるそうです。」 ディズニーランドで働く人たち、通常お互いをキャストと呼んでいるそうですが、彼らは、常に「ショーを演じる」という意識を持ち続けることが要求されています。自らの行動が周囲からどう見えるかを意識した上で、マイナスの印象を与えないように努めるのが大切です。身だしなみについても、プライベートでのおしゃれは「自分のため」にするものであるが、仕事の身だしなみは「他人のため」にするものです。
ディズニーランドでは、清掃には特に力を入れています。その指標は「赤ちゃんがハイハイしてもOK」という大変厳しいものだそうです。閉園後に数百人のキャストが一丸となってオンステージを丸洗いしていますし、トイレも裏側に磨き残しがないか手鏡を使って調べるほど徹底しているようです。また、ディズニーには夜から朝方にかけて清掃をする「ナイトカストーディアル」という職種があります。彼らは、午後10時のパーク閉園後、パーク内の他にもディズニーリゾートラインの車両、舞浜駅前、従業員施設をピカピカに磨きあげます。なによりナイトカストーディアルはお客様と触れ合う機会がありません。どれだけ心を込めて清掃をしても、お客様の喜んだ顔を見ることはできず、直接お礼を言われることもないのです。そんな彼らは、いったいなにをモチベーションに働いているのでしょう。ある日、ひとりの「ナイトカストーディアル」の方がこんなことを言ったそうです。「私にとって、朝引き継ぎをする仲間のキャストも大事なお客様です。彼らからの“ありがとう”が仕事の原動力になっていますし、自分たちが頑張ることで仲間がお客様から“ありがとう”と言われてもまた、うれしいのです。」そんな彼らの姿を知った昼間のキャストも「お客様から言われた感謝の声」を毎日彼らに伝えるようにしています。それが大きなモチベーションとなっていました。
ウォルト・ディズニーがこんな言葉を残しています。『与えることは最高の喜びなのだ。他人に喜びを運ぶ人は、それによって、自分自身の喜びと満足を得る。』
周囲から愛され、仕事もできる人は必ずと言っていいほど、自分から先に与えることが得意です。そうなるためには、どうすれば良いのか。それは、『仲間をお客様のように大切に思うことです』職場では、自分ひとりでは何もできません。仲間の力を借り、時には愚痴を聞いてもらうことで、自分の役割を果たすことができます。それに対する感謝を忘れず、いつも敬意を払っていれば、仲間のために行動するのは自然なことに思えるはずです。
 最後に、あるキャストが入社して間もない頃に、人生で初めてのお客様の対応をした時の話をお伝えします。  私は大変、緊張していましたが、パーク内をうろうろしていると、ふたりの親子が椅子に腰かけているのが目に入りました。6歳くらいの女の子は、どこかぎこちない雰囲気で、うつむき加減に座っています。横に座るお父さんは途方に暮れた様子です。緊張しつつも、思い切って「こんにちは」と声をかけました。そして話を聞くと、お父さんは「娘をミッキーに会わせたいけど、どこに行けばいいかわからない」と言われました。私はマップを片手に、ミッキーの住む「トゥーンタウン」のことを説明して送り出しました。1時間ほど経った頃、その親子が私のところにかけ寄ってきて、女の子が「ミッキーに会ってきたよ」とうれしそうに教えてくれました。そして、お父さんがおもむろに話し始めたのです。「実は家庭の事情で、今日は月に一度の娘に会える日だったのです。声をかけてくれてありがとう」その時に私は、お客様のひとりひとりに、それぞれの物語があるということを改めて実感しました。自分にとっては同じことの繰り返しでも、お客様にとってはそれぞれの人生の思い出に刻まれる、大切なショーのひとつなのです。
   リオデジャネイロパラリンピックの走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーで銅メダルを獲得し、平昌で開催された冬季パラリンピックにおいても、スノーボードで出場を果たした山本篤さんを知っていますか。義肢装具士の国家資格を持ち、スポーツ科学の研究もされて、型破りの進化を続けられているそうです。彼は子どもの頃からスポーツが大好きでした。しかし、高2の春休みに起こしたバイク事故でガードレールの支柱に左足を打ちつけ、切断することになってしまいました。単独の自損事故でした。「なんで自分がこんな目に遭うのか」と思ったそうです。しかし、彼が涙をみせたのは担当したドクターと看護婦さんの前だけだったと聞きました。男3人兄弟の真ん中で負けず嫌いの彼は、お兄ちゃんにも負けるのも嫌で、いつも喧嘩ばかりしていたそうです。事故が起きてしまったことは変えられない、それより、この先どうしたいのかを考えようと思ったそうです。考えに考えた末に、思い浮かんだのは、「スポーツがしたい。もう一度スノーボードがしたい。」ということでした。その後、彼は願いを叶えるために必要なことに最善を尽くして、研究を重ねて努力をしました。彼は大学に入学し、陸上をすることを決心しました。しかし、どうしても義足と自分の足とでは、歩幅が違ってしまい、バランスの悪い走りになるということで、義足である左足の付け根の筋肉を強化しました。すると、見事に歩幅が大きくなり、次第にバランスがとれるようになっていったそうです。原因を突き止めて何をすれば答えが出るのかを探りながら改善しました。そして、結果を残しました。
 話は変わりますが、ユニクロの社長の柳井正さんという方がいます。ユニクロといえば、フリースとかヒートテックなどの商品が有名です。柳井社長は、物事を革新的に捉えます。イノベーションをどんどん起こしてきました。周囲の人々からは、「そんなのは失敗する」とか「できるはずがない」と言われるような、常識外れの発想で事を起こしてきました。例えば、「改札を通り抜けた駅の構内で洋服が買えるようにしては?」などという発想もその一つです。「非常識だと思える高い目標を掲げるとその実現のために、いろいろなことを変革せざるを得なくなる」、「既存の延長線の発想では、目標は実現できない」という思いに至り、そこから多くのユニークな商品を考案してきました。
 人間は思い込みに支配されていると誰かが言っていました。①自分が今までずっと考えてきたこと。②何度となく言い聞かせてきたこと。③幼い頃から形づくられてきたこと。④挑戦に失敗し、「自分はダメだ」とレッテルを貼ってしまったこと。そうゆう思い込みが本当であったことは滅多にないと聞きます。思い込みに支配されなければ、必ず未来は変わり、成功に導かれます。
 夏の甲子園は、今年で100回を数えます。前評判の高かった大阪桐蔭高校が見事に優勝をし、春夏連覇を成し遂げました。打撃力抜群の桐蔭高校ですが、なんと決勝戦の前夜は、対戦相手である金足農業高校のエースピッチャーである吉田投手の配球について、夜遅くまで研究したそうです。戦いに向かう姿勢が優勝を導いたのだと思いました。自分たちの力におごることなく、根拠に基づいた研究と練習を重ねてきたからこそ、勝利をつかむことができるのでしょう。 ①能力を身につけ高めて技術を習得し、②どのように戦うか(戦略)を考え、③勝負の時には、自身を信じ集中し、必ず勝つという強い気持ちで挑みましょう。そして、成功をものにしましょう。 自分には手の届かないものだと思っているものに、研究を重ねて獲得しに行きましょう。
   最初の話はある営業マンについての話です。その方は、真面目でお人よしで口べたな方です。こんなにも不器用な方が、なんと216ヶ月18年連続で営業目標をクリアするという偉業を達成しました。営業目標のノルマというのは、達成すればするほどハードルが上がっていきます。達成しても次から次へともっと大きいノルマが課せられるので、目標を毎回クリアし続けるのは、まさに至難の業です。にもかかわらず、彼は、某自動車ディーラーの営業マンとして店長に就任するまで、連続達成記録を続けました。彼は、営業に異動する前は、車の整備や修理が専門のサービスマンでした。毎日油まみれになって働き、お客さんと話しをすることも少なかったそうです。だから、彼がそんな偉業を達成する理由はなかなか見つかりません。その理由とは、彼が「○○」だったからだと言われました。「○○」には漢字2文字が入ります。何だと思いますか。それは、彼が「誠実」だったからです。
 彼は「車が故障した」と聞けば、夜中でも休日でも笑顔で駆けつけます。車を探しているときは、中古車や、時には他のメーカーの車でも安く手に入れられるように手を尽くします。「駐車場探し」、「ローンの相談」やまったく関係のない「病院の紹介」、「家屋の修繕」など、お客様が困っているときは、どんなことでも親身になって相談に乗り、力になっていたようです。お客様からすれば、「車のセールス」というワクを超えた「よき相談者」、「人生相談のパートナー」のような存在となっていたようです。そんな彼に対して、「あなたから車を買いたい!」と注文が入っていたようです。おそらく、お客さんが、知り合いを紹介してくれたのではないかと思います。
 こうして彼は、強引に売り込みをすることもなく、上がり続けるノルマを18年間もクリアし続けることができたというわけです。
 「口ベタ」にもかかわらず営業時代に天下無敵だった彼の最大の武器は、「誠実さ」でした。彼が営業時代に売っていたのは「車」ではなく「信頼」だったようです。
皆さんがやがて世に出て働くために、日頃から学ぶべきことは、自身の考え方や心構えです。作法や所作、知識や技術はそれに付随していくものと考えても良いでしょう。
 もう一つ紹介したいことは、長野県にあるタクシー会社の話です。1998年に日本で冬のオリンピックが開催されました。長野オリンピックです。開催される長野の駅には、観戦するお客さんや報道陣がドッと押し寄せました。長野での主な移動手段はタクシーです。地元タクシー会社は、あっという間に予約で満杯になりました。タクシー会社は貸し切り状態になったのです。そんな中で、唯一「貸し切りお断り」を貫いたタクシー会社が1社ありました。実は、当初その会社も貸し切り予約を受けていたそうですが、1人の社員がこんなことを言いました。「いつもうちの車で病院に通っているご高齢の○○さんはどうするのですか?」
 その言葉がきっかけとなり、会社の中で議論が起こるようになりました。地元住民の足を守らなくても良いのか?」と考えるようになり、経営者は「オリンピック期間中も、貸し切りを断って通常の営業を続ける」という決定をしました。もちろん、こんな判断を下したのはこの会社だけです。他の会社はいつもの3倍の売り上げを記録しました。しかし、オリンピックの閉幕とともに他の会社はお客を失いました。一方、地元住民の足を守ったこの会社だけは、大会が終わってもビクともしませんでした。それどころか、オリンピック前までは他社のタクシーを使っていた人たちまでも、この会社のタクシーに乗ってくれるようになりました。「自分たちにとって、大切にするべき人たちは誰か」ということを、忘れてはいけません。
 さて皆さん、充実した学習ができていますか。勉強をして優秀な大学に行けば、優れた人たちに出会う機会も増え、すばらしいと思います。でも、出会ったチャンスを生かせるかどうかは、本人しだいです。その人の考え方・受け止め方に依ります。「誠実」に生きていけば、これから先に力になってくれる人と出会う機会を得るでしょう。日頃から、大切にすべきことや守っていかなければならないことをしっかりと心に留めておきましょう。
 本校の校門の前に横断歩道があります。車を止めてくれている方に頭を下げていますか。少し早歩きで渡っていますか。こんな時に感謝の気持ちをしっかり伝えたいものです。あなた方の気配りが相手の心を一転させます。
 親は、子どもの悪いところばかりが目に付き、ついつい「勉強はしているの」なんて口癖になったりしてしまいます。以前読んだ本にこのように記されていました。日常生活の中での子供に対する接し方として、心理学の側面から避けるべきなのが、「欠点を修正しようと必死になり、ダメ出しばかりしてしまうことだ」と書かれていました。
 人はあるものごとに注意を向けると、そこにばかり目が行ってしまうという習性があります。大学での実験で、学生たちに「パスの回数を教えてください」と言って、サッカー映像を5分ほど見せる実験がありました。実はこの映像では、画面の一番手前を白熊が堂々と横切るのですが、映像が終わった後に「白熊に気づきましたか」と聞いても、ほとんどの学生は気づかなかったと言います。パスばかりに注意が向いているためです。人間の幸福や長所もこの白熊のようなものだと著者は言います。
著者は大学の講義のなかで、元英国首相ウィンストン・チャーチルの言葉を引用し、「悲観的な人はあらゆるチャンスに困難を見いだし、楽観的な人はあらゆる困難にチャンスを見いだす」「幸福というものは人生における客観的な出来事で決まるのではなく、出来事をどのように解釈するのかという主観的な心の働きによって決まる」と言っています。あら探しをしてしまう人は幸せにはなれません。子育ても一緒です。子供の欠点を探す癖が一度ついてしまった親は、脳内に「欠点を探す配線」ができあがって、そこからなかなか抜け出せなくなってしまうと言います。親が認識を再構築することで、単に失敗を指摘するのではなく、どうしたら修正できるかまで考えられるようになることが大事です。
子供が学校から帰ってきたら、今日楽しかったことや、感謝したいことを思い出す時間を作りましょう。重要なのは、思い出している時にその人や出来事を目の前に思い浮かべたり、話したりして感謝の気持ちを心のなかで再体験することです。これを繰り返すことにより、幸福感が高まり、ポジティブな気分を味わえるようになるようです。一日数分でも、一週間で一回でも行えば効果はあるそうです。
 私は生まれてこの方、九州に行ったことがありません。でも皆さんが訪れる長崎は写真やテレビの画像の紹介を見て、近いうちにぜひ訪れたい土地だと思っていました。レトロな庭やカフェを備えるグラバー邸は、私にとって、大変興味深い場所です。スコットランド出身のトーマス・ブレーク・グラバーは、長崎で貿易業を営んでいましたが、幕末の政治的混乱期に、藩や幕府を問わずに武器や弾薬を販売したと聞きます。その後、炭鉱を経営したり、財閥の相談役になったり、国産ビールの育ての親とも言われています。グラバーを知ることにより、幕末の歴史をより深く学んでみましょう。
 話は変わりますが、以前勤めていた学校の修学旅行での出来事を紹介します。二日目に宿泊したホテルは高級なホテルでした。到着してしばらくの間は、生徒たちはその豪華さに興奮していました。休憩時間にロビーのソファで人だかりをつくり、はしゃぎ過ぎて先生から注意を受ける者もいました。先生たちは心配そうでした。食事後に全員が集合する時間があり、ある先生が話をされました。「今日、このホテルにはいろんな方が宿泊されています。仕事で見えている方、海外のお客さん、家族連れの方や老夫婦でお越しの方々も見えます。その人たちの中には、貯金をしたお金で今回の旅行を楽しみたいと思い、少々値段の高いホテルに泊まり、行き届いたサービスを求めて来た方もいらっしゃるかもしれません。もちろん、皆さんにとっても一生に一度の高校の修学旅行なのですが・・・。それぞれが、良き思い出となり、楽しかったと言えるように気遣いをしたいものですね。」
 生徒たちは、施設内で他のお客様に気配りをしながら行動するように心がけてくれました。こんな話は、当たり前の話なのかもしれませんが、引率の先生やその場に居合わせたホテルの方は大変感動されたそうです。他を思いやる心が、逆に思いやりを受けることになり、自分の今後を変えることになるかも知れませんね。このような気持ちは誰もが持っていると思いますが、時間に追われる生活の中で、気づかずにいるのではないでしょうか。修学旅行では、楽しい時間の中にも周囲への配慮を忘れない、清々しい態度を持って参加して下さい。思い出に残る楽しい旅行にしましょう。
 北海道にサロマ湖という湖があることを知っていますか。北海道の北東に位置し、すぐ北にはオホーツク海があります。そのサロマ湖という湖の近くに「北海道家庭学校」という学校が立っています。この学校の敷地面積は、東京ドームの93倍の広さで、学校の中には、礼拝堂や田んぼや畑はもちろん、牛舎、バターを製造する建物、木工教室、博物館などが立っています。学校に通う生徒たちは、全国から集まってきます。何かしらの理由で学校に通えなくなってしまった子、学校の規則が守れずに退学をしてしまい通える学校のみつからない子や少年院に入る一歩手前の子たちが集まってきます。生徒たちは、午前中教室で授業を受けますが、午後は外に出ていろいろな作業をします。野菜をつくって育てたり、家畜のせわをしたり、自分たちが使う机や椅子をつくったりします。そうやって、自ら汗を流すことで、人々の世話になっていること、助けを受けていることを理解しようとします。礼拝堂、いわゆる「チャペル」の正面には「難有」と漢字二文字を書いた額が掲げられています。逆から読むと「ありがとう」と読みます。難儀を乗り越えることで自分自身が強くなり、人の気持ちが分かる、心の痛みが分かり、感謝の心を持つことができるようになるという意が込められています。
 私が教員として初めて勤めた学校は、名古屋の西の尾張地区にある「佐屋高校」ですが、その学校は農業科と家庭科の学校でした。北海道家庭学校と同じように生徒は実習の時間で野菜を栽培し、豚や鶏の世話をします。豚の糞の後片付けもするので、実習服が汚れ当時まだ20代で若かった私に抱きついてきたりしてからかわれました。花や野菜の植物も、家畜たちの動物も我々人間に話しかけてはくれません。人間がしっかり観察をして、今何が必要なのか理解しなければ取り返しのつかないことになってしまいます。彼らは、実習の授業の中でそのことを学び、人に対する思いやりを育みました。当時の3年生は、私との年齢差は5歳でしたので、今年54歳になります。いつも、自分のことは後回しにし、人の心配ばかりしてくれる、私にとってはすばらしい一生の友となりました。
 人間は会話を通してお互いの思いを伝えますが、本当の心の内を探るためには、その人のことをよく知らなければなりません。相手の置かれている立場や状況を理解してあげることで、分かり合え、心が通じ合うのではないでしょうか。お互いのことを大切に思い、「この人のために私は頑張る」といえる人間関係を築きたいものです。人間は、「自分のため」と思うより、「人のため」と思う方が頑張れるのかもしれません。勉強や部活動や他のことで、君たちが、やりたいことを途中で諦めずにかなえるためには、心のバックボーン(支え)を持つことが大事です。学校生活は、『人間力を高める』きっかけが多く潜んでいます。皆さんはそれを見つけて、今より一回りも二回りもスケールの大きい人へと成長して下さい。
 西尾高校は、今年度で創立100周年を迎えます。歴史と伝統を誇る 文武両道の精神を貫く伝統校であります。幾多の諸先輩方の努力の結晶がこの伝統を築きあげ、皆さんもまた、これを受け継ぎ、創り上げ、後に続く者たちに伝えていかなければなりません。記念すべき100周年の年に在校している皆さんは、多くの先輩方に接する機会を有し、歴史と伝統の重さを感じ学ぶことになるでしょう。限られた者だけに与えられる機会を大切にし、自分の人生に生かしていただきたいと思います。
 改めて申すまでもありませんが、高等学校は、勉学はもとより各自が個性を磨き、心と体を鍛える場であります。校訓である進取・自主・克己を胸に高校生活をスタートさせましょう。自ら進んで取り組んだ経験により、魂を揺さぶる感動の一つ一つが、人間としての大きな成長をもたらすことになるでしょう。この西尾高校では、勉学に、部活動に、学校行事等に感動を呼び起こす素なるものが潜んでいます。皆さんがそれを見つけて、豊かな人間性を身につけることを期待しています。
 知る喜び、創る喜び、そしてそれを生かす喜びを知り、活躍していく若者、そんな若者がさらに社会の中で活躍していくためには、人との関わりの中で学ぶ経験を重ねていくことが必要になってきます。現代社会では、人間性よりも会社名や肩書きが重んじられる傾向があるのではないかと思ってしまうことがあります。有名企業の社員であること、役職に就くことが「立派な人」と勘違いすることも時折見受けられるような気がします。自分を守ろうとするあまり、他人を潰そうとすることさえ起こり得るような気がします。
そうならないためには、『人間力を高めること』が大切です。人として愛され、尊敬され、信頼されていれば、どこの会社にいようと、いかなる肩書きを持っていようと関係ありません。「あなたがいるなら、一緒にやりましょう。」たとえ所属や肩書きが変わろうと、そう言ってもらえるはずです。大切なことは、会社名や肩書きに勝るだけの自分を構築することです。 西尾高校での学校生活には、この『人間力を高める』ための素が潜んでいるのです。ぜひ皆さんでそれを見つけて、進路実現の足がかりとなる高校生活を経験して下さい。